母の日に誰かがいないあなたへ:あなたが抱えるさまざまな悲しみに寄り添って

EverDear のライター、Nina H. による記事。

その日は、実際の母の日が来る何週間も前から始まります。最初に届くのはメールです。
「お母さんに特別な贈り物を」
「お母さんには世界一のものを」
やがて店頭には、ピンク色のカードや花束、おそろいのパジャマが並び始めます。SNS には、カウントダウン、ギフトガイド、そしてハートの絵文字が添えられた思い出の写真があふれます。

多くの人にとって、母の日は祝福の日です。けれど、別の多くの人にとっては、一年の中でも特につらい日のひとつです。もし今年の母の日に、あなたが何らかの悲しみを抱えているなら、世界だけがひどくにぎやかで、自分の痛みだけが静かに取り残されているように感じるかもしれません。

母の日の悲しみには、さまざまな形があります。
以下の中から、ご自身に近いものを見つけてもいいですし、ただ心が引かれるところから読み始めてもかまいません。

 
 

母の日の悲しみと向き合うために:本当に助けになること

悲しみの中で母の日をやり過ごすための、たったひとつの正解はありません。けれど、よくある「キャンドルを灯す」「日記を書く」といった助言の先に、少しだけ助けになることがあります。

どんな悲しみを抱えている方にも、次のようなことが役立つかもしれません。

  • その日が来る前に、誰かひとりに気持ちを伝えておくこと。 説明したり、正当化したりする必要はありません。ただ「この日は自分にとってつらい日なんだ」と、信頼できる人に伝えるだけで、「誰にも気づかれていない」という孤独感が和らぐことがあります。

  • SNS がにぎやかになる前に、外に出ること。 朝早く、投稿があふれ始める前に出かけてみてください。夜明けの散歩でも、目的地のないドライブでもかまいません。世の中のざわめきが押し寄せる前に、自分だけの時間を少し先に確保しておくのです。

  • 無理に参加しないことを、自分に許すこと。 家族の集まりがつらいなら欠席してもかまいません。SNS を見ない選択をしてもいいのです。幸せそうにふるまう義務は、誰に対してもありません。

  • 故人をそばに感じられる、形あるものを考えてみること。 多くのご家族にとって、手に取れるものがあることは、言葉や思い出だけでは得られない慰めになります。故人の服を身につける人もいれば、小さなメモリアル urn をベッドサイドに置く人もいます。また、ご遺骨や髪の毛から**メモリアルダイヤモンド(遺骨ダイヤモンド)**をつくり、毎日身につけられる形を選ぶご家族もいます。遺骨からダイヤモンドという形は、悲しみが宙に浮いたように感じるとき、静かな支えになってくれることがあります。

  • その翌日も、自分をいたわること。 母の日その日以上に、その翌日のほうがつらいと感じる方も少なくありません。世の中はすぐに通常に戻りますが、あなたの悲しみはそうではありません。できるだけ月曜日の予定を軽くしておきましょう。朝一番の会議は断ってもいい。洗濯はあと回しでもいい。週末どうだったかと聞かれたら、「静かに過ごしました」とだけ答えても十分です。

お母様、あるいは母のような存在を亡くしたとき

これは、多くの人にとって最も理解されやすい悲しみかもしれません。けれど、それでもなお、特に最初の数年は深い孤独を伴います。

母のいない母の日は、ただ一日だけの悲しみではありません。その何週間も前から、少しずつ気づかされる時間でもあります。贈り物のお店に入って、思わず何かを手に取ったあと、「もう渡す相手はいない」と思い出す瞬間。日差しの差し込む庭の空いた椅子。もう二度と出ることのない電話。

 
 

もし今年が、お母様のいない最初の母の日なら、どうか知っていてください。過ごし方に正解はありません。強くあろうとしなくていいのです。まだその気持ちになれないなら、家族を集めて思い出を語る必要もありません。家にいてもいい。車の中で泣いてもいい。ほかの人にはまだあるものを、自分は失ってしまったことに腹が立ってもいい。どれも弱さではありません。それは、人として自然なことです。

そして、五回目、十回目、二十回目の母の日であっても、「そろそろ楽になっているはず」と誰かに言われる筋合いはありません。母を恋しく思う気持ちに、期限はありません。悲しみの形は年月とともに変わるかもしれませんが、なくなるわけではありません。愛もまた同じです。

もちろん、あなたにとって「母だった人」が、実の母親とは限りません。あなたを育ててくれた祖母だったかもしれない。助けに入ってくれた叔母だったかもしれない。あなたを選んでくれた里親だったかもしれない。あるいは、実の母には果たせなかったかたちで、あなたを導いてくれた誰かだったかもしれません。その絆は本物であり、失った重さも同じです。

この悲しみがとりわけつらいのは、世の中が必ずしも同じだけの居場所を与えてくれないからです。祖母に育てられた人のための母の日カードは、ほとんどありません。関係が一般的な呼び名に当てはまらないとき、周囲の思いやりは届きにくくなることがあります。何を失ったのか気づかれないまま、誰からも声をかけられないこともあります。

それでも、あなたの悲しみは確かに大切なものです。どんな呼び方であれ、どんな存在のかたちであれ、あなたにとって母であった人は、きちんと想われ、敬われるべき存在です。そして、どう偲ぶかは、あなたが決めてよいのです。

何も予定を入れずに一日をやり過ごすほうが楽な人もいれば、あえて意味のある時間で満たしたほうが少し軽く感じられる人もいます。どちらも間違いではありません。大切なのは、自分にやさしくすることです。

少しでもその人を身近に感じられる方法として、同じ立場の人たちが「やってよかった」と感じたことをいくつかご紹介します。

  • その人の香水をつける。保存していた留守番電話を聞く。昔のセーターを着る。
    香り、声、手ざわりは、人を最も近くに感じさせてくれるものです。特別な理由がなくてもかまいません。母の日の朝は、それだけで十分な理由になります。

  • その人のレシピをつくる。ただし、ひとつだけ材料を変えてみる。
    そうすると、その料理は「その人のもの」でありながら、同時に「自分のもの」にもなります。ただ過去を振り返るのではなく、その人を自分の中で受け継いでいく方法になります。

  • その人を知らなかった誰かに、小さなエピソードをひとつだけ話してみる。
    人生のすべてではなくていいのです。笑い方でも、電話に出るときの口ぐせでも。新しい誰かの中に、その人の声を残していくことも、ひとつの追悼です。


子どもを亡くした母として迎える母の日

子どもを亡くした母にとって、母の日はとても残酷な矛盾を含んだ日です。世の中は母であることを祝福しているのに、自分が抱えている母性は、まるで見えていないかのように扱われることがあるからです。

お子さまが何十年も生きたとしても、数日しか生きられなかったとしても、あるいは一度もこの世界で呼吸することがなかったとしても、あなたが母であることに変わりはありません。母の日は、あなたにも属する日です。たとえそう感じられなくても。

死産や新生児の死を経験したお母様にとって、この日は特に「見えない悲しみ」になりやすいものです。共有できる写真や長い思い出の積み重ねが、あまりないかもしれません。「人前で悲しんでいいほどのものが自分にはあるのだろうか」と感じることもあるかもしれません。けれど、長い人生がなかったことは、愛の大きさを少しも小さくしません。あなたはその命を宿しました。それは確かに母であったということです。

また、今生きているお子さまを育てながら、同時に亡くした子どもの悲しみを抱えている母にとって、この日は言葉にしがたい引き裂かれるような感覚をもたらします。今いる子どもたちはあなたを祝いたい。あなたもその子たちのためにここにいたい。でも、心の一部は別の場所にあります。その両方を同時に抱えることは、とても消耗することです。喜びと悲しみが並んでいても、自分を責めないでください。

少しでも気持ちが整ってきたら、あなたなりのかたちで、お子さまの記憶と静かに過ごす時間を持ってみてもよいかもしれません。

  • 好きだった本があれば、それを読む。名前があったなら、誰にも見せない場所に書いてみる。
    こうした小さく私的な行為は、決してささいなことではありません。それもまた、母としての愛の表れです。

お腹に宿しながら、一度も腕に抱けなかったのなら、その愛の行き先をつくる。
新生児医療に関わる病棟へ寄付をする。NICU のご家族のためのケアボックスを用意する。小さな毛布を寄付する。母としての気持ちは、その子がいなくなったからといって消えるわけではありません。その愛が必要とされる場所に、そっと流れていくようにしてあげてください。

 
 

関係がつらいまま終わった、あるいはわだかまりが残っているとき

すべての母娘関係が、あたたかく穏やかなものとは限りません。難しい母親、いないも同然だった母親、傷つける存在だった母親を失った人もいます。今も生きている母親と疎遠になっている人もいます。

自分の悲しみが一般的な「母の日」の物語に当てはまらないとき、この日は祝うものではなく、なんとかやり過ごすものになります。悲しみと安堵を同時に感じるかもしれません。実際にいた母ではなく、「いてほしかった母」を失ったように感じるかもしれません。ほかの人のように母を恋しく思えない自分に、罪悪感を抱くこともあるでしょう。

けれど、それもまた自然なことです。複雑な関係は、複雑な悲しみを生みます。痛みがなかったふりをする必要はありません。どちらも真実であってよいのです。母であったこと。つらい関係だったこと。その両方が同時に成り立ちます。

また、もしあなた自身が母であり、子どもとの距離ができてしまっているなら、母の日は別のかたちの悲しみをもたらします。ほかの母親たちがカードや電話を受け取る中、自分のもとには何も届かない。どこで間違ってしまったのだろう。自分のせいなのだろうか。連絡を取ればよくなるのか、それとももっと悪くなるのか。そんな問いが、答えのないまま巡り続けます。

母の日が、修復できない関係の成績表のように感じられることもあるでしょう。けれど、母であることはブランチへの招待や花束の数で測られるものではありません。あなたは、自分にできる精いっぱいのやり方で子どもを愛してきたはずです。その愛が意図したとおりに届かなかったとしても。言い訳をしたり、罪悪感に溺れたりせずに、その事実とともにいることもまた、ひとつの勇気です。

こうした気持ちに心当たりがあるなら、ほかの人たちが少し助けられたと感じたことがあります。

  • 本当は母から聞きたかったのに、一度も聞けなかった言葉を書き出してみる。
    相手への手紙ではなく、自分への手紙として。ほしかった承認、謝罪、やさしさを、自分の言葉で書いてみてください。そして声に出して読み返してみるのです。必要だった言葉は、たとえ自分の声であっても、あとから届くことがあります。

  • あるいは、自分をやさしく「育ててくれた」女性とその日を過ごす。
    叔母、先生、いつも食卓にひと皿多く並べてくれた友人のお母さん。母の日は、「失った母」のことだけを思う日でなくてもよいのです。自分が受け取ってきた母性を思い返す日でもいいのです。

 
 

母の日が、不妊や流産という別の喪失を思い出させるとき

母の日の痛みが、死そのものによるものではない人もいます。そこにあるのは、「訪れなかった母性」の痛みです。

不妊治療、うまくいかなかった治療、あるいは「もうやめよう」と決めた経験があるなら、母の日は、手に入らなかった人生を毎年あらためて突きつけてくる日になるかもしれません。明るい広告も、「すべての素敵なお母さんへ」と書かれた投稿も、自分が思い描いていた人生と、今生きている現実とのあいだにある隔たりを、鋭く思い出させることがあります。

流産にもまた、独特の沈黙があります。周囲の誰も知らない悲しみを、ひとりで抱えているかもしれません。誰にも話していないのかもしれないし、話したとしても、自分よりずっと早く周囲が日常に戻っていったように感じたかもしれません。けれど、どちらにしても、その喪失は確かに存在します。そして、それに「もう悲しまなくていい時期」はありません。

思い描いていた人生を失ったことを悲しんでもいい。母の日というこの日に、その重みをしっかり感じてもいい。そして、数時間だけそこから離れてもいいのです。

このタイプの悲しみは、内省や儀式だけではうまく応えられないこともあります。実際に助けになったと感じる人がいたことを、いくつかご紹介します。

  • 自分を守ることに、遠慮しない。
    もし母の日が「起こらなかった母性」を思い出させるなら、その日から完全に距離を置く権利があります。フォローを外してもいい。ミュートにしてもいい。アプリを閉じてもいい。母であることとまったく関係のないことをして過ごしてください。行ったことのない場所へ行く。パズルをする。気になっていたドラマを一気に見る。部屋を整理する。泳ぐ。走る。思い切り変わったお菓子を焼く。その日を、自分のためだけのもので満たしてもいいのです。それは悲しみから逃げているのではなく、数時間だけそこから外に出ることを自分に許しているのです。

  • パートナーがいるなら、その人の中に自分の気持ちを閉じ込めない。
    不妊や流産の悲しみは、同じ関係の中にいても、とても孤独なものです。互いに違うかたちで抱えているかもしれませんし、片方は前に進んだように見えて、もう片方はまだそこにいるかもしれません。母の日は、その距離を浮き彫りにしやすい日でもあります。できるなら、当日が来る前に、どう過ごしたいかを話しておくとよいでしょう。前日の短く正直な会話が、同じ悲しみを別々に抱えたまま日曜日を終えることを防いでくれることがあります。

そこに確かにあった命を、ほんの少しでも認める。
流産を経験したなら、あなたはひとつの命を宿していたのです。それは、たとえ誰にも気づかれなかったとしても、確かなことです。できるなら、母の日にその喪失のための私的な時間を少し取ってみてください。ノートに数行書く。名前があったなら、その名前を口にする。静かな場所に座って、急いで次のことに移らず、その気持ちを感じてみる。母であったと感じることに、誰かの許可は必要ありません。

 
 

子どもが、母親のいない母の日を迎えるとき

この記事を読んでいるのが、大切な子どもを支えたい大人であることもあるでしょう。残された親、祖父母、叔母、継親。どんな立場であっても、「助けたい」と思ってここにいること自体が、とても大切なことです。

学校で行われる母の日の活動は、特につらいことがあります。カード作り、詩、教室での発表。そうしたものの多くは、「すべての子どもに生きている母親がいる」ことを前提にしています。お子さまがまだ小さいなら、母の日の1〜2週間前に先生へ伝えておくとよいでしょう。ほとんどの先生は、事情を知れば内容を調整してくれます。ただ、先に気づいて尋ねてくれるとは限りません。

年齢の上がった子どもやティーンエイジャーでは、つらさの現れ方が違います。まったく話したがらないかもしれません。怒りっぽくなったり、急に感情的になったり、黙り込んだりすることもあります。特にティーンエイジャーにとって、SNS 上の母の日は過酷です。周囲の友人たちが生きている母親への投稿を並べる中、自分はまだ言葉にできない喪失を抱えています。

年齢や性格にもよりますが、次のようなことが助けになるかもしれません。

  • その日をどう過ごすか、子ども自身に選ばせる。
    お墓参りをしたい子もいれば、写真を見たい子もいます。その日が存在しないふりをしたい子もいます。時間帯によって両方を望む子もいます。どれも間違いではありません。選べること自体が、「あなたの気持ちは大事だよ」というメッセージになります。

  • お母さんのことを話す。
    母親を亡くした子どもが深く恐れることのひとつは、「周りの人が母の名前を口にしなくなること」です。自然な形で話題にしてあげてください。
    「この歌、お母さん好きだったよね」
    「これ見たら、お母さん笑っただろうね」
    それは悲しみを思い出させているのではありません。子どもは忘れていません。ただ、お母さんが今も家族の物語の中にいることを確かめているのです。

  • 何かを一緒につくることを、望むなら手伝う。
    庭に何かを植える。好きだったレシピを一緒に作る。お母さんを思い出すものを小さな箱に集める。すべての子どもに合うわけではありませんが、じっと話すより「手を動かすこと」のほうが楽な子もいます。途中で興味がなくなっても、それで大丈夫です。

その後の静かな時間に気を配る。
子どもは大人のように、予定どおりに悲しみません。母の日当日は平気そうでも、月曜日に突然崩れてしまうことがあります。本人が母の日と気分の落ち込みを結びつけていないこともあります。翌日以降もそばにいてください。寝る前の時間を少し長く取る。答えを誘導しない質問をしてみる。
「今週、どんな気持ち?」
という聞き方は、
「母の日がつらかった?」
と尋ねるよりも届きやすいことがあります。

 
 

悲しんでいる大切な人を支えたいとき

  • 相手が話し出すのを待たない。 多くの人は、自分からは言い出しません。母の日の前に、 「日曜日、つらい日になるかもしれないね。必要ならいつでもいるよ」 とひと言メッセージを送るだけでも、大きな意味を持ちます。完璧な言葉は必要ありません。相手が助けを求める前に、そこにいることが大切です。

  • 当日は、相手の望む過ごし方に合わせる。 一緒にいてほしい人もいれば、ひとりでいたい人もいます。まず尋ねて、その答えを尊重してください。

  • 終わったあとにも覚えていることを伝える。 母の日が過ぎて、みんながもう次へ進んでしまった火曜日に、 「今もあなたのことを思っています」 という短いメッセージを送ることが、その人の一週間を支えることがあります。

母の日と悲しみに関する、よくある質問

大切な人を失ったあと、母の日が来るのが怖いのは普通ですか?

はい、とても自然なことです。母の日は、悲しみを抱える人にとって、一年で最も感情が揺さぶられやすい日のひとつです。当日そのものだけでなく、その前の数日、数週間のほうが苦しく感じられることもあります。怖いと感じるのは、あなただけではありません。

亡くなった母を、母の日にどのように偲べばよいですか?

正解はひとつではありません。お母様の持ち物を身につける人もいれば、思い出の場所を訪れる人もいます。好きだった料理を作る人もいれば、静かに過ごすことを選ぶ人もいます。また、ご遺骨や髪の毛からメモリアルダイヤモンドをつくり、母の日だけでなく、日々の暮らしの中でもそばに感じられる形を選ぶご家族もいます。遺灰ダイヤモンドや遺骨ダイヤモンドは、目に見える追悼のかたちとして、多くの方に選ばれています。

それは、ただボックスを開けるだけの行為ではありません。
数か月にわたる想いと時間に、ついにその手で触れることができる瞬間です。

そのとき初めて、私たちの大切な記憶は「形ある存在」として現実の世界に現れます。
身に着け、触れ、いつもそばに感じられる存在となるのです。
揺らぎそうな日々の中で、静かに寄り添う心の支えとなります。

価格について:メモリアルダイヤモンドの費用

番組の放送後、特にコンサルテーションの中で触れられた28,000ドルという金額について、多くのご質問をいただきました。
そこで、ここでは明確にご説明したいと思います。

この金額は、3カラットなどの大きなダイヤモンドを製作する場合の例です。

 
14K イエローゴールドの EverDear メモリアルダイヤモンドロケット。ペアシェイプの遺骨ダイヤモンドをあしらい、やわらかな質感のある面の上に繊細なゴールドのスネークチェーンとともに置かれている

14K イエローゴールドに、愛する人の炭素から生まれたペアシェイプのダイヤモンドをあしらった EverDear メモリアルダイヤモンドロケット

 

母の日に悲しんでいる人へ、何と言えばよいですか?

短く、正直な言葉で十分です。

「今日はつらい日かもしれないね。あなたのことを思っています」

そのひと言は、長い励ましよりもずっと届くことがあります。

「きっと今はもっといい場所にいるよ」

「思い出があるだけでも幸せだよ」

といった言葉は避けたほうがよいでしょう。痛みをそのまま認めること、それだけで十分です。 

悲しんでいるとき、母の日のお祝いを欠席してもいいですか?

もちろんです。幸せそうにふるまう義務はありません。前日の夜に、

「今年は少し難しそうだけれど、気持ちは送っています」

とだけ伝えても、それで十分です。

 
 

あなたは、ひとりではありません

この日が来るのを恐れているのは、あなただけではありません。SNS に並ぶ笑顔の写真の向こう側にも、同じような重さを静かに抱えている人たちがいます。

あなたの悲しみは、確かなものです。そして、あなたの愛もまた確かなものです。今日あなたが恋しく思っているその人も、きっとあなたに、ひとりきりでこの苦しみを抱えてほしいとは思わないはずです。

支えが必要なときは、次のような団体もあります。

米国: 喪失を抱える子どもたちのための全米支援団体(National Alliance for Grieving Children) (childrengrieve.org) | MISS Foundation (missfoundation.org) | Option B (optionb.org)

英国: Cruse 死別サポート(Cruse Bereavement Support)(cruse.org.uk) | 死産・新生児死亡を支える慈善団体 Sands(Sands stillbirth and neonatal death charity)(sands.org.uk

オーストラリア: オーストラリア悲嘆・グリーフセンター(Australian Centre for Grief and Bereavement) (grief.org.au) | 周産期の喪失を支える Bears of Hope(Bears of Hope)(bearsofhope.org.au

カナダ: Compassionate Friends Canada (tcfcanada.net) | オンタリオ州の遺族支援団体(Bereaved Families of Ontario)(bereavedfamilies.net)


そして、もしあなたがいつか、母の日だけではなく、日々の暮らしの中でも大切な人をそばに感じられる方法を探したくなったら、そのときに私たちはここにいます。EverDear では、ご遺骨や髪の毛に含まれる炭素から、丁寧で研究に基づいた工程を通して、長く残るダイヤモンドをお作りしています。遺骨からダイヤモンドがどのように生まれるのかをご覧いただくこともできますし、気持ちの整ったときに、どうぞ私たちへご連絡ください。急がなくて大丈夫です。無理に決める必要もありません。ただ、このような愛と喪失を理解している人たちが、ここにいます。

 
 
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